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ある優男の末路(後編)

◆これまでのあらすじ

30歳の信也は、職場で出会った同い年の藍と彼女と同棲して早3年。

藍から「結婚って考えたりする?」と探りを入れられた信也は、妥協を選ぶのか、自由を目指すのか、葛藤の渦に潜り決断を下す。

▶前回:ある優男の末路(前編)

「結婚って考えたりする?」

藍がボクに投じた言葉には、とても軽々しく扱えるようなものではないという物々しい雰囲気があった。

そのとき、ボクの中には2人の自分がいた。

一人の自分は理想を描き素直に行動し、冷静な判断をする大好きな自分。

もう一人の自分は地に足をつけ、安全第一で守りを固めた大嫌いな自分。

両者に共通するのは「幸せになりたい」というシンプルな真実だ。

なのに、そのたった一つの真実は、なぜか二人のボクを生み出した。

一人のボクは自由のコンパスを頼りに、人生という大海原に命を捧げる。

もう一人のボクは友人からのコンパを断り、目の前の女性に愛を捧げる。

どっちが本当の自分なのかわからなくなってきた。

刻一刻と過ぎ去っていく時間が、藍に対する期待をぐんぐん膨らませている。

藍の期待に答えられるなら、この沈黙も味わい深い。

でも本当は、期待を裏切ってしまうとボクは知っている。

時計の針の音が、まるで時限爆弾のカウントダウンのように聞こえてくる。

ここで結婚を受け入れてしまえば自由が奪われてしまうんじゃないかという不安がこみ上げる。

ボクは2人の自分がせめぎ合い、もうどうにでもなれ。と思って答えを導き口から吐き出した。

「ごめん、結婚は考えてないんだ」

再び沈黙が訪れた。

ベッドの上でちょこんと座っている藍が目の端に見えるが、様子を伺うのがバレたくないので目線を合わせられない、怖い。

ボクは部屋の真ん中に胡坐をかき、小さなテーブルの上でスマホをいじって気を落ち着かせようとするが、動揺を隠せない。

真面目そうなニュース記事を早いペースで読んでいる、というか読んでいる気になっている。内容が全然入ってこないし、同じ文面を行ったり来たり上下にスクロールしている。

藍の視線がボクに向いているのはなんとなく分かる。

何か言おうとして口をあんぐり開けたままになっているような呼吸が聞こえる。

しばらくして藍の口からため息が漏れた。

「いいよ別に」

藍は低いトーンで落胆し、そっぽを向いた。

ボクは難を逃れて安堵した。

それから数日経ち、ある出来事が起きる。

朝起きて軽くシャワーを浴びた後、いつものように着替えてカバンを取って出かけようとしたその時。

「あっ」

テーブルに立てかけてあったカバンがビショビショに濡れていた、テーブルにはマグカップ倒れており、わずかに中身のコーヒーが残っている。

そういえば昨日ボクが飲み残したんだった、朝のバタバタで倒してしまったのか、ボクがそんなことを省みているが、藍は見向きもしない、こんなに切羽詰まっていても助けてくれないのか、と落胆していた。

次の日、いつものように出社してカバンを開けるが昨日のコーヒーの匂いが全然取れていない。

失敗の味を再び味わいながらパソコンを取り出したそのとき。

「うわっ」

虫だ。

干からびて羽が捥げた蛾の死骸がパソコンと共に飛び出してきた。

慌てて避けたボクを怪訝そうな目で山本さんが振り返った。

「あら元気ね」

ボクに言ったのか虫に言ったのかわからないが、ボクはパニックで返事もしなかった。

何とか虫を片づけて落ち着こうと思ったが昨日の今日でアクシデントが続き疑心暗鬼になっていた。

次の日も何かあるんじゃないかとドキドキしたが職場では何も起こらなかった。

ホッとした心持ちで上機嫌に「ただいま~」といいながら家のドアを開けリビングに入ると。

なんと、ボクのYシャツやらジャケットが無残にも散らかっていたのだった。

藍は見当たらず空き巣が入ったのかと思ったが、金目のものは無くなっておらず、不思議に思った。

(藍がやったのか?)

記憶をたどると『結婚考えてるの事件』以降、何を聞いても素っ気ない対応だったり、藍の様子がおかしかった。

(いくらなんでもそれはないか)

とりあえず散らかったシャツなどを一通り片づけた。

頭の混乱が収まらない。

間髪入れず、次はスマホの着信音が響く、画面を見ると

『マーシー』

大学の同窓会以来か1年ぶりかな、また飲み会の誘いかな?

「よぉ信也!今日のコンパ男が足りなくなっちゃってさー!女の子がノリ良くてめちゃ可愛いから来てくれない?」

予想が見事に的中してなんだか面白かった、にしても今日はさすがに急だな。

「お前ホント相変わらずだな」
「でもごめん、いま彼女と同棲してて行けねーわ、誘ってくれてありがとな」

「いーじゃねーか!数合わせだし、藍ちゃんなら大丈夫だろ!」

そうか藍のこと話してたっけ。

「いやいやそーゆーことじゃねーし」いつものノリが懐かしくて心地よい。

「あーわかったわかった!なんか考えごとか?ちゃんと息抜きもしろよな!まぁまた今度な!」

心の中が見破られたのになぜか落ち着いた。

「ありがとなー今度話す」

電話を着ると、中途半端に片付いたリビングにポツンと立っているボクだけが居た。

ボクはそのままベッドに横たわりいつのまにか寝てしまった。

気付くと朝になっていた、同じベッドの隣で藍が何事もなかったかのように寝そべりながらインスタをチェックしている。

「おはよ」
「おはよう」
「ねぇ昨日オレ帰ってきたらシャツとか散らかってたんだけど、藍じゃないよね?」
「ううん」
「藍なの?」
「うん」
一切目線を合わせず藍は淡々と答えた

「え、なんで?」
「別に…」
「なにそれ」
「…」
「もしかして虫も?」
「…」
「まじかよ」

まさかとは思ったが全部そうだったのか、なんでそこまでされなきゃいけないんだ。

問い詰めたかったが、何を聞いても答えてくれなそうだ。

もやもやしたまま職場に向かう、

「村上君大丈夫?顔色悪いよ?」
「大丈夫です」

同僚の山本さんにも心配かけてしまったがそれどころじゃない。

そうか結婚できないことがそんなに嫌だったのか。

たしかに男女間での結婚観はボクも含めて大きなギャップがあると思う。

でも、それはそれ、別れたいなら別れてもいい、自由恋愛なんだし、そもそもボクは藍を引き止めたりした覚えはない。

そんな責任転嫁の言い訳をつらつらと脳内で箇条書きにしていたので、もちろん仕事が手につかなかった。

それからしばらくは何も起きなかったが、藍に対するボクの警戒心が解かれることはなかった。

3ヶ月ほどたったある日、

ポストに入っていた封筒を見ると『賃貸借契約更新の手続きについて 株式会社〇〇不動産』

そうか、あっという間に引っ越してから最初の更新か、なんというタイミングだろう。

ボクはこれを機に藍とはお別れにしようと思いついた。

でも藍はきっと嫌がるだろう。

でもボクにも自由を求める権利がある。

まるで政府に抗い、反旗を翻すレジスタンスのように奮起した。

2日後の土曜、ボクは藍に問いかけた

「再来月更新だって、どうする?」

「何の?」

「家のだよ、そーゆーの知らないでしょ?」ボクだって忘れてたのに、それを隠してマウントを取りにいく

「あ、そう」

「どうする?オレは更新しないで引っ越そうと思う」

「どこに?」

「これから決める」

「なんで?」

「仕事に集中したいんだよ」ボクは畳みかけれて苛立ちを隠せない

「どういうこと?」

あぁもういい。理屈云々をいうのはもうやめよう。

「藍とは。別れようと思う」

「え」

沈黙が流れる。

「そんな気がしてた」

藍はボクの素っ気なさから察していたのだろう。

「じゃあ、決まりだね」心の中でガッツポーズをする

やっと話が終わって息をするのを忘れていたことに気付く。

翌月、藍は電車で2往復して大量のぬいぐるみ達と大好きなアーティストのグッズと共に実家へ引き上げていきつつあった。

そして最後の1往復でそれは起こった。

その日、藍は休みで、ボクが仕事中に荷物を運ぶ日だった。

仕事終わりのボクは足取り軽く帰路に就く。

ドアを開けた後に異変に気付く…

ドアが開く音がやけに反響して聴こえたのだ…

ん?

そこにはボクのベッド以外何もなかった。

3ヶ月ほど前に似たような感覚を味わった。

にしても度が過ぎている。

慌ててスマホを取り出し藍に電話をかける。

「おかけになった電話をお呼びしましたがお出になりません。」無機質な自動音声の後、薄情なツーツーツーという電子音だけが残った。

「やられた」ボクにプレゼントしてくれたはずの電気ケトルだけでなく、二人で買ったクローゼットや冷蔵庫などの大物まで無くなっていた。

誰が聞いているわけでもないが口から後悔が漏れる。

自由の代償は大きいな…

間髪入れず、次はスマホの着信音が響く、藍かと思って画面を見ると

『マーシー』

なぜか泣きそうになりながら通話ボタンを押す

「よぉ信也!今週末のコンパ男が足りなくなっちゃってさー!女の子がノリ良くてめちゃ可愛いから来てくれない?ってこの前も誘ったけどダメなんだっけお前?」

「ちょっと考える」

「お?!望みありか!どうした藍ちゃんとなんかあった?」

「それな、今度話す」

「ガチじゃねえかよ!まっ気にすんな!地球には女性が35億人居るんだ!」

「うるせー」
心地よいやり取りだ

「まっ考えとけや~じゃあな!」

「おう、ありがとよ」

電話を着ると、そこにはボクのベッド以外何もなかった。

他に残っているものはないかと、戸惑いながらも再び見渡してみる。

敢えてなのであろう。

乱雑に寄せ集められたゴミだけは残してあった。

さっきは思わずマーシーに感謝してしまったしどうせバレてるよなと思いつつ

『なんとか調整してみる!詳細教えて!」とメッセージを送り窓の外を眺める。

冷静に藍とのできごとを振り返ってみるとなるべくしてなったことが推理小説の布石を回収するようにぞわぞわと腑に落ちてきた。

そもそも藍の元カレはサイコパスの名を冠した男だったし、結婚に対する執着心がボクへの嫌がらせに発展していた。

それらは可愛らしいと包み込むにはあまりにも歪でねじ曲がった人格だった。

これから出会う女性がどんな恋愛観なのか知ることは大切だ。そして
「過去の別れ方が壮絶な人だった場合は慎重に関わったほうがいい」
という教訓をこの経験から学べたと思う。

無くなった冷蔵庫はボクへの教育費なのかもしれない。

はぁ。

けっこう気に入ってたんだけどなぁ。

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