これは、結婚1周年を迎える夫婦が、お互いの大切さに気づいていく物語である。
「ごちそうさま」
みずきはそう呟くように言うと、そそくさと食器をまとめて、台所に歩いていく。
夫のかずきは今日も残業で、家にはみずき1人だ。
結局この大事な日を、みずきは家で1人で迎えていた。結婚の1周年記念を。
つけっぱなしのテレビから、朝から何度も報道されているニュースが聞こえてくる。
みずきは思わず、
「何回同じこといってんのよ!」
とテレビに向かってイライラをぶつけてしまう。
みずきは貿易会社に勤める28歳で、仕事はそれほど忙しくなく、ほとんど定時で終わるため、1人の時間を持て余している。
それに加えて、最近はテレワークが導入されて、家にいる時間もかなり増えた。
かずきみたいに、仕事にのめり込めるくらい、忙しかったらまた違うのだろうか?などとあれこれ思考が巡る毎日だ。
夫のかずきは大学時代のサークルの先輩で、自分から告白して付き合い、そのままゴールイン。
去年こじんまりと式を挙げ、今日で1周年を迎える。
「はぁ……」
大きくため息をついたみずきには、悩みが尽きない。
久しぶりに旅行にもいきたい!
そろそろ子供のことも考えなきゃ。
仕事、このままでいいのかなぁ?
また大学の頃みたいに、みんなでワイワイやりたいなー。
と浮かんでは消えていく。
そして、今朝何事もなく家を出て行ったかずきの姿が、何度もまぶたの裏に現れる。
(今日、何の日か忘れちゃったのかな…)
(かずき、浮気とかしてないよね?)
(ここ最近、いつにも増して帰りが遅いし、)
夫のかずきは大学時代、かなりモテていた。
いろんな女性からアプローチされていたらしい。
そんな中、ダメ元で告白したら思いがけずオッケーの返事をもらい、嬉しい反面、戸惑いも強かった。
顔やスタイルはモデルのようで、運動神経もよく、仕事もできる。稼ぎも良い。
弱点は、料理ができないくらい?
そんな理想を絵に描いたような旦那と一緒になれたのに、なぜこんなに自分は満たされてないのだろう?
その答えを見つけられず、日々の食卓も段々と手抜きになってきていた。
そして、今日、結婚して1周年を迎えるのだ。
「どうしたらいいんだろう…?」
とつぶやくみずき。ぼんやりと宙を眺めていると、
大学時代からの親友はるかからLINEが来た。
「やっほー♪新婚さん!久しぶりだね\(^o^)/元気してる?」
といういつも通りの元気なはるかのメッセージに、どこか救われた気がするみずき。
しかし……
「元気だよー♪はるかも元気??」
とみずきが返信すると、
「元気元気!またみんなで集まりたいねー♪」
とすぐにはるかから返信がきた。
続けてはるかから、
「変なこと聞くかもなんだけど、今旦那さんお家にいる?」
という意味深なメッセージが。
妙な胸騒ぎがして、みずきは
「ううん、いないよ?なんで??」
と少し震える指先でメッセージを打った。
「やっぱり見間違いじゃなかったんだ。さっきね、みずきの旦那さんが、女の人と歩いてるのみたんだ。言おうか迷ったんだけど、気になり出したらモヤモヤしてきてさ(^_^;)」
という衝撃の内容が。
みずきのなかでは、いろんな感情が渦巻いていた。
いろいろなことを考え過ぎて、目眩がしてソファにうなだれるように座り込んだ。
(やっぱり最近帰りが遅かったのはそういうことだったんだ。どうしよう?どうすればいいの?)
思考が固まるみずきの手元で、スマートフォンがLINEの通知を告げる。
はるかからだった。
「大丈夫?今から会えない?」
とにかく1人でいたくなかったみずきは、最低限の荷物を持って、家を飛び出した。
みずきとかずきが住んでいるのは都心のマンションで、古い建物だが、部屋も広く、管理も行き届いており、みずきは気に入っていた。
エントランスで、帰りがけの管理人さんとはちあった。
「あら?みずきちゃん、こんな時間におでかけ?最近物騒だからね。気をつけて。」
と声をかけてくれた。
みずきは、
「ありがとうございます。」
と軽く会釈をしてエントランスから外へ出た。
蒸し暑い。
昼間に降った雨のせいか、外はかなり湿度が高かった。
まとわりつく夏の空気が、余計にみずきの焦りを煽った。
(ホントにかずきは女の人といたのかな?どんな様子だったの?もしかしたら客先の方とかじゃないのかな?)
とはるかに問いただしたいことが次から次への浮かんでくる。
足取りも自然と早くなる。
はるかに指定された場所は、家からほど近い、いつもみんなで飲んでいるバーだった。オーナーも優しい人で、多少の無理はいつも聞いてくれていた。
かずきともよくお邪魔している店だ。
(よりによって、ここか…)
みずきはかずきとの思い出がつまったお店に向かうのが少し辛かったが、はるかと話がしたい気持ちが勝っていた。
お店に着くと、入り口は空いていたが、お店の中は暗かった。はるかもいない。
「すみません。やってますか?」
みずきはお店の奥に問いかける。
その時、お店の厨房の明かりが突然点灯した。中には人がいるようだ。
「オーナーさんですか?」
と呼びかけながら、中に入っていくみずき。
カウンターに近づき、驚いた。
厨房の中で笑っているのは、かずきだった。
しかも、エプロンとコック帽をつけている。あの料理嫌いのかずきが。
厨房の中から、
「いらっしゃいませ。何にしますか?」
という声が聞こえた。
みずきは、
「ミネストローネを。」
と返答した。
このミネストローネは、かずきとの思い出のメニューだった。2人でお店にくる時には、必ず頼んでいたメニュー。
「どうぞ。」
と出されたミネストローネからは、優しい香りがたっている。
「いただきます。」
とみずきがミネストローネを口に含んだ時、涙が溢れてきた。
(これは、オーナーの味じゃない。このミネストローネは、かずきが作ってくれたものなんだ。)
みずきはそう思った。
厨房の中のかずきは、
「どうかな?結構練習したんだけど。」
とちょっと得意気に質問してきた。
みずきは、
「しょっぱい」
「でもおいしい」
とみずきは答えた。
涙が溢れる。
次の瞬間、お店全体が明るくなって、
「結婚1周年、おめでとうー!!!!」
という大合唱が店中に響いた。
はるかや、お店のオーナーをはじめ、大学の時のサークルのメンバーがお店の奥から次々と現れて、2人の記念日を祝福していった。
この日はみんなで大いに盛り上がり、みずきは終始嬉し泣きしていた。
「じゃあ、また!」
ご時世のこともあり、盛り上がった会は早々に切り上げられ、お店にはかずきとみずき、オーナーとはるかだけになった。
落ち着いたはるかを前に、一連の種明かしがされた。
女の人と歩いていた、というのははるかの作り話で、かずきが最近帰りが遅かったのは、毎晩このお店で料理を習っていたからだった。
「こんなサプライズ、ずるいよー!」
と膨れっ面のみずきだったが、お店の中には昔と同じ、暖かな空気が流れていた。
「ナイスアイディアだっただろ?」
とかずきが一言。
すかさずはるかが、
「何いってるんですか!お店にみずきがくるまでドキドキでしたよ!!」
とたしなめる。
「みずきが喜ぶことをオレなりに考えてみたんだ。これからもよろしくね。」とかずきがみずきに言った。
みずきは、
「うん。ありがとう。」
と一言だけ答えた。